上が開放、下が5.6。
なるほど。
photo : LEICA M8 + noctilux-m f1/50
写真をあらためて撮りだしてから1年半。
写真に対する考え方や見方が変わった。
解像度が高く、発色の良い写真が必ずしも美しいものではない。
フレーミングがあたかもポスターのように美しく完成された構図にも共感がわかない。
何かが写りこんでいなくてはいけない。乱暴に何かを写りこませていないと面白くないんだね。
ピントは合っていたほうがいいけれど、ぶれているものはしょうがない。撮ることが優先だ。
日常が面白い。日々いろいろな情景に出会っている。
だからコンパクトなカメラがいい。いつでも持っていて、すぐ撮れる。かまえることなく撮れる。
D-LUX3は本当に良い相棒だ。レンズが飛び出さないともっといいのに。
M8は頭を使う。ノクチルックスは正確さを求める。
どう撮れば良いのかを決定的に決定させる組合せだ。
生きる練習だ。
photo : Leica D-LUX3 DC vario-elmarit f2.8-4.9/9-23 asph
月曜、会社に行きたくない。寒川神社に行き、大好きなラーメンを食べて帰る。
交換後の初ノクチだ。ピントの勘ができてきた。
古物商から新しいノクチが届き、キズ物を送り返した。
古物商は口約束を最後にひるがえすようなことをしたので、はっきりと不愉快であるとメールした。
すると送り返した物が到着したかも連絡してこない。
失礼な奴だ。そもそも、人を欺むき、財物を巻き上げれば詐欺罪を構成するのだ。
まじで無礼な奴だと思う。
それにしても川田亜子が残念でならない。
生きていれば道が開けることもある。
photo : LEICA M8 + noctilux-m f1/50
ノクチルックスは完璧でなければならない。
一点のダストもキズもあってはならない。
問題の加賀の古物商にしてやられたノクチがやっと新しいものに交換できた。
やはり最後は商人魂むき出しで対応に苦慮した。
くだらない時間を浪費したもんだ。
道楽とはこんなことを謂うのだろうな、としみじみ思う。
しかし、やはりノクチはイイ。工業製品としても美しい。
口径比は" 1 "が完璧な美を構成する。
美しいレンズは美しい像を創る。
ノクチ問題が解決したので、やっとトリ・エルマーを開封。
これまた、おもしろい。
ひとくせ、ふたくせ、複雑さ、煩雑さ、独自性、そいうものがない存在はつまらない。
photo : Leica D-LUX3 DC vario-elmarit f2.8-4.9/9-23 asph
傘を持って寝ている少年。
彼がこの電車に乗ってきた時、車内はかなり混雑していた。
彼は混雑している状況でも巧みに空席をみつけ座ろうとした。
その時、彼はすっごい横目でドアを見、そこにおばあちゃんが乗車する姿を発見する。
彼は座らなかった。そのおばあちゃんをずっと目で追っていた。
声をかける勇気はないが、彼は席を譲ったのだ。
残念ながらその厚意はおばあちゃんには通じなかった。
彼は、立っているおばあちゃんをずっと見ていた。
やがて、電車は空き、彼は座り、ご覧のように爆睡。
人を押しのけても座ろうとする10代や20代が極めて不愉快な中、ちょっと安心する1コマだった。
頑張れよ、爆睡少年、今試験中だろ?
photo : Leica D-LUX3 DC vario-elmarit f2.8-4.9/9-23 asph
日曜夕刻散歩に出る。キズ玉のクチとのお別れ会だ。
緑が綺麗だ。古墳である。
神々がいる。身近に。
レンズを絞るということをしなくなった。
開放主義とでもいうのか?もはや絞り方が解らない。
さようなら、傷つきのノクチルックス。
学んだよ。ありがとう。
photo : LEICA M8 + noctilux-m f1/50